7月からはじまった毎年恒例のお盆の諸行事やご供養が昨日ですべて終了。
お盆の伝統行事があるからこそ、社会にとってもよい影響があるように感じる。
諸外国並みに凶悪化する犯罪、犯罪の低年齢化などを目の当たりにすると、お盆の諸行事のように、各家に親戚が集まりいろいろと語らい、ご先祖に感謝し手を合わせお互いの幸せを祈りあう....そんな環境下で凶悪な犯罪などは起こらないと思う。
お伺いしたどのお宅でもご親族が一同に会し、いつもながらの暖かい雰囲気が漂う中ご先祖のご供養がおこなわれた。
お寺には、法類といわれるお寺の親戚関係の寺院がある。私のお寺には、この法類のお寺の次男さんが執事として務めてくれている。
2年目であるが、目配り気配り心配りも板につき、実によくこなしてくれている。それは、ただの法類関係の域を超えまるで本物の親戚であるかのようである。
この執事は、今、人生最高であろう幸せを味わっている。
仏さまの尊いご縁によって、人生の伴侶が出来たのだ。
先日、法類のお寺でお盆の施餓鬼法要が行われた。私は自坊の都合でお手伝いに行けなかったが、次の日、執事からうれしい言葉を聞いた。
「彼女が法要のお手伝いに来てくれました。本当によくお手伝いをしてくれて...ありがたかったです。家族も本当に喜んでくれました。」と満面の笑顔で話してくれた。
法類として私も、お寺や執事の行く末を心配していただけに、こんなにうれしいことは無い。
どのお寺も今まで何百年と続いてきた。しかし昨今、尼僧のお寺は跡取りが無く絶え、男僧のお寺も跡取り問題に悩む寺院は多い。お寺もまさに激動の時代である。
そんな中、次男のお嫁さんとはいえ、すすんでお手伝いくださったのは尊くありがたいことである。親が写真を持って駆けずり回ったりする世の中で、仏さまのご縁とは本当にすばらしい。
人生には、山もあれば谷もある。二人でいると、うれしい時は喜びが倍になり、つらい時や悲しい時には、半分になる。お寺のお手伝いをするということは、仏さまのお世話をさせていただくということ。仏さまも行く末をお見守りくださることであろう。